スタッフブログ


2020年06月07日

新しい生活様式


みなさんこんにちは。
ゲリラ更新担当の菊田です。

 

 

 

非常事態宣言の解除と共に営業を再開した当施設ですが、6月に入ってようやく会員さまの動向が活発になってきた印象。

 

 

 

梅雨入りと同時に夏日の毎日。
暑さとコロナ疲れから水泳でリフレッシュを図りたい心境でしょうか。
やっぱり水の中はとても気持ちがいいんですね。

 

 

 

さて、「新しい生活様式」と称して日常生活の習慣をウイルス対策に順化させるという取り組みが始まっています。

 

 

3つの基本は
①身体的距離の確保
②マスクの着用
③手洗い
ですが、よく見るとそこにはとても細かいスタイルの変化が含まれています。

 

 

 

例えば
買い物に行く場合、計画的に素早く済ます。とか、
レジに並ぶときは前後の人との間にスペースを空ける。とか。。。

 

 

 

公共交通機関の移動では会話は控える。とか、
混んでいる時間を避ける。なんてことも書かれていますが…。
通勤や通学時間がほとんど共通なのにどうしろと言うのでしょうか。。。苦笑

 

 

 

スポーツに至っては、トレーニングは自宅で動画を活用。とか、
応援は十分な距離をとるかオンラインで。
応援は…オ、オンライン???

 

スポーツ観戦・応援の醍醐味はLIVEを会場でという楽しみ方が今後変わっていくのでしょうか。
会場から観客席が消える日も来るのかな?

 

歓声をチカラに変えてパフォーマンスする選手にとって無音状態はどうなんですかね。
レベルの高い選手はすでにそのあたり達観していて無関係なのでしょうか。

 

スポーツって、戦っているのは確かに選手なのですが、その選手を支えるすべての人の物語が背景にあるので。
それを思うと無観客での試合で選手にかかわる人々が直接会場で見れないのは悲しいですよね。
まして手も声さえも届かないオンラインでというのは…。いかがなものか。

 

 

 

しかし、有効なワクチンが見当たらず、感染拡大の収束が見込めない現状では、この生活様式を受け入れながらウイルスと付き合っていくしかないのでしょうね。

 

 

 

スイミングスクールにおきましては、3密を回避するための取り組みとして以下の制限を今もかけています。
①子供たちを体操室に待機させず、体操もプールサイドで実施
②ギャラリーからの観覧禁止
③クラスごと時間差で更衣室を利用
いずれもプールではなく、プール以外における注意となっています。

 

大変なご迷惑をおかけしているのは重々承知してはおりますが、もうしばらくご協力お願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、新しい生活様式については第2にマスクの着用が記載されています。
当施設でもフロントスタッフや検温スタッフ、ドライバーなどマスクを着用させて頂いてます。

 

 

 

ただ、やり過ぎにならぬよう現状で当施設では水泳指導員のマスク着用を行っていません。
しかし最近ではプール内でも飛沫感染を予防するようなマスクが開発されています。
それについても賛否両論あるようですが、今後もしも第2波なり再度沖縄でも流行するようなことがあれば、スタッフの飛沫防止についてマスクやシールドの着用も含めさらに検討が必要と考えています。
どうかそうならないように…。というのが率直な願いです。

 

 

 

それにしてもこのコロナウイルスは社会のあらゆるものを変えてしまいました。
人々の目標や生活を破壊してきたこの数か月。
日々情報が交錯し、何が正しくて何が間違いなのかさえ分からないほどです。

 

いかに多くの情報にアンテナを立て、それに対し正確に判断して行動するべきか。
いろんなことが試されているようなそんな毎日でしたし、これからも当分はこの状態が続きそうです。

 

 

 

しかし、例え生活様式が変わったとしても人々がスポーツを求める心は変わらないと考えています。
今年の那覇市小中学校では夏の水泳授業が残念ながら中止になってしまったと聞いています。

 

ぜひ清潔な環境を保ったスイミングスクールで水泳に親しみ、楽しみながら体力づくりを目指してください。
水中で身体を動かす気持ちよさは普遍的です。

 

 

 

ところで波之上スイミングスクールのInstagram。
ときどき忘れた頃にひっそりと更新しています。
ありがたいことにフォロワーさんも少しずつ増えていますよ!

 

カメラマンリクエストを随時受け付けていますので「〇〇コーチの写真が見たい!」とコメントくださいね。
写真自慢のスタッフたちが選りすぐりの1枚をアップするはずです!

 

 

 

 

というわけで本日は以上。
ゲリラ更新担当の菊田でした。

また連絡します。